■アジア通貨危機(「通貨危機」)

1997年夏のタイ・バーツ急落をきっかけに、インドネシアや韓国などで連鎖的に通貨が暴落し、金融機関や企業破たんが相次ぐ経済混乱に陥った。ヘッジファンドなど欧米の投機筋が一斉にアジア諸国から短期資金を引き揚げたのが、直接的な引き金である。
通貨危機を呼んだ原因は、危機の端緒となったタイに典型的にみることができる。第一に、自国の通貨、バーツの価値をアメリカ・ドルにリンクさせる「米ドル・ペッグ制」を採用していたため、当時高騰していた米ドルに連動して、バーツの過大評価が顕著となっていた。第二に、当時タイの経常収支はその赤字を短期的投資で埋め合わせる構造となっていたが、バーツの過大評価は短期資金の流入にさらなる拍車をかけ、一種のバブル的状況を生み出していた。そこに輸出の鈍化など実体経済の変調が表れると、通貨切下げの予測が一気に強まり、結果として短期資金の大量流出につながることとなる。
アジア通貨危機の特徴は、それがタイ一国の危機ではなく、それまで「東アジアの奇跡」といわれるほど急速な経済成長を遂げ、新興工業国への仲間入りを果たした「優等生」である韓国やインドネシアなどに波及したことにある。またそれらの国々では、通貨危機が金融機関や企業の倒産など深刻な経済危機に発展し、かつそのインパクトが数年にわたり持続すると同時に、インドネシアにおけるスハルト体制の瓦解など、政治的危機にまで結果した。
アジア通貨危機への対応として、大規模なIMF融資が各国に供与されたが、その条件(コンディショナリティー)は財政・金融の引締めと金融システムの改革を主とするものであった。財政面についていえば、財政規律の回復は、各国のマクロ経済安定化にとって必要であったものの、社会的危機に対応するための財政支出を限定することになった。それは失業給付などの社会給付や労働立法の不備など、もとから存在した問題を浮き立たせる結果となり、のちの世銀等における「社会的セーフティネット」への着目につながっていった。


<<戻る